2010 No.099 11月号 水島精二監督インタビューより
気になったところだけ抜粋。
――デカルトの機体をガンダムにしようとは思いませんでしたか?
水島:ないですね。ガデラーザは連邦の最新兵器であって、ソレスタルビーイングのガンダムではないですから。アヘッド系の連邦の技術にイノベイドの技術が加わって完成されたものです。ガ・シリーズの系列でもあって、複雑な開発設定があるんですよ。
――いろいろ変形するのではという憶測もながれましたが?
水島:変形はしますよ。人型とまではいかないものの、手足に近いものが出てきます。(略)
ろくに活躍をしなかったガデラーザですが、設定は面白いです。
ガンダムウォーで収録される際は、『ガデラーザ系 アヘッド系 ガデッサ系 MA 専用「デカルト・シャーマン」』ってなるんですね、枠大丈夫でしょうか。
感想のところで触れるのを忘れたのですが、ガデラーザの腕が生えるギミックはびっくりしました。
どちらかというとサブアームのようでしたがあのアイディアは良かったと思います。
ただ、MAというこれまでの連邦の枠組みにないカテゴリー(アルヴァトーレの流れをくんでいるわけでもなさそうですし)の機体だったのはどうだったんでしょう?
量産型MSはジンクスⅣにシフトしていましたし、ちょうど後継機の開発がなくなってしまった様子のガデッサっぽいMSでよかったんじゃないでしょうか?
その方が立体化しやすそうでし(流石にガデラーザは通常のガンプラブランドでは立体化されないでしょう)。
――劇場版には新キャラのデカルト・シャーマンが登場しますが、本職ではない俳優さんを起用した理由はどこにあるのでしょうか?
水島:新キャラクターを埋没させたくなかったからです。普段、体で芝居をしている役者さんは、発生が声優さんとは違うため、それが瑞々しく聴こえてくるんです。(略)
デカルトの演技に関しては普通に良かったと思います。
私は観ていませんが、デカルト役の勝地涼さんは「銀色の髪のアギト」という劇場アニメでも声優をされていたそうです。
――デカルト・シャーマンは、今まで何をしていた男なんですか?
水島:デカルトはもともとMSパイロットをしていた軍人です。セカンド・シーズンの24話で刹那がトランザムバーストを発動したあの量子空間に、彼もいたんですよ。その影響でイノベイターとしての能力が開花したんです。ですから、同じようにあの場にいたかなりの数の人が、イノベイターへの進化の兆しをみせているんです。急速にイノベイターの予備軍が増えているという劇場版の設定は、ここに理由があるんです。(中略)
――いち早く進化したデカルトは軍人だったこともあり、軍で研究されているわけですか?
水島:イノベイターを軍事的に利用したい科学者たちが、デカルトをモルモットにしているんです。デカルトは能力が開花して強くなり、階級も上がったというのに、一兵卒のときよりも扱いは悪くなっているんです。強さは持っているけれどコミュニケーションは悪くなってしまった彼は、心を閉ざしていまい、ELSと接触したときも戦うことしか選べなかったんです。
デカルトがあの場にいたという話は何故か知っていたのですが、初出はなんだったのでしょう?私自身初めて見たのがどこかは忘れてしまいました。
「進化」とインタビューで答えていますから、やっぱりイノベイター化は肯定的に捉えられています。
そうなると、やっぱり気になるのはデカルトというキャラクター。
一枚岩ではいかない、ということを示すのはいいことだと思うのですが、「最終的にイノベイターになって分かり合える」っという映画で、イノベイターになったにもかかわらず、分かり合えなかった(もしかすると適当な言葉ではないかもしれません)キャラクター何ら補完されることなく中盤で消えてしまう、というのはいかがなものかと。
境遇を考えれば、通常の人間を「劣等種」と見下すのはわからなくもありませんが、それだけでは普通の人間と変わりません。
それに通常と違う人間が出現した際に研究対象になるというのは予測できそうなものですが、その点イオリア・シュヘンベルクはどうかんがえていたのでしょう?
そのために事前に人類同士の争いをなくそうとしていたと言われても、それは争いとは別な視点ですからね。
4割がなったと言っても増えていく過程では多くのイノベイターが実験台にされていったことでしょう。
……なんだか、イノベイターの脳量子波って人間相手では役にたってない気がしてきました。
いろいろ書いたのですが、この辺りは外伝あたりで補完して欲しい分野なのですがどうなのでしょう?
そうでないと「イノベイターになれればみんな分かり合ってハッピー!」のはずなのに、そうでないキャラクターとして書かれたデカルトの存在が意味不明すぎます。
それとイノベイターと普通の人間の能力格差の問題も。
――イノベイター同市、刹那と接触させてみようとは思わなかったんですか?
水島:それは全く考えませんでしたね刹那とデカルトは会わせ鏡の存在なんですよ。シナリオ的にもデカルトは物語前半を引っ張る役目を持っていて、その中で”同じイノベイターでも立場の違いによってこうも変わってしまうのか”というのをみせたかったんです。
これを読むと、デカルトについて上記のような解釈をするのは、「演出の意図的には」間違っていないようです。
そうなると、イノベイターでも必ずしも分かり合えるわけではない、っということで映画の趣旨と外れてしまうと思うのですが……
前にも書いた通り、先に覚醒したものとそうでないものの間にある確執は、それだけで作品一本作れるくらいのテーマだと思っていますので、中途半端に出したのは作品的にどうなんでしょう?
分からなくなってきました。
――分かり合うことの大切さ。それは過去の「ガンダム」シリーズも提示している、共通のテーマですよね。
水島:そうですね。要するに相互理解して、相手の立場も慮った上で、平和を考えようということです。「劇場版00」で描いたのはさらにその先、いずれ人類が必要になるであろう”異臭との対話”だったというだけです。
――イオリア計画はその”異種との対話”に備えてのものでしたが、彼はELSを予想していたわけではないんですよね?
水島:これは本当に偶然です。しかも、予想より数百年も早い遭遇だったんです。本当は全人類がイノベイターになってkらという予想だったんですけどね。
分かり合う云々はやっぱりニュータイプ論の根本にあることなので、このテーマそのものは限りなくガンダムなんですよね。
上でごちゃごちゃと書いてしまったせいで、異種に目を向けたせいで、足元の人間同士がおろそかになっている印象を私は持ってしまいましたが。
この辺りはもう少し考えたいと思います。
ELSを予想していたのではない、というのがインタビューで明確に示されて良かったと思います。
映画を観に行って最初に書いた雑感での疑問でしたので。
ただ”異種が必ずいる”と思ったのは結局なぜなのでしょう?
インタビューで気になったのは以上の通り。
いろいろ疑問がわいてくる私はイノベイターになれなかったようです。
まぁ、ガンダムシリーズなんてテキトーに疑問しながらテキトーな結論を出していくものですから、これで正解かもしれません。
「劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-」 感想 前編 - ガノタのチラシの裏