ガノタのチラシの裏

ガンダムについて思いついたことを気ままにかいています。

「劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-」 感想 後編

 書いているうちに疲れてしまったので、前後編になりました。
 「劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-」 感想 前編 - ガノタのチラシの裏の続きです。



ネタバレ注意です
ビリー・カタギリとミーナ・カーマイン
 いい年こいて童貞で有名なビリーですが、ネーナ・トリニティと同じ顔をしたミーナという新キャラと恋仲になっていました。
 おそらくミーナの祖先が提供した遺伝子がネーナに使われたのだと思います。
 ラストでリボンズの遺伝子の元となったと思われる、E・A・レイというキャラクターも登場していました。
 イノベイター(イノベイドですけど)って変な色(原色)の髪の色が多かったので、何かしら意味があるのかと思っていたのですが、元ネタも全く同じ変な色でしたので、色に関しては全く意味がなかったようです。
 ちなみに今回の映画で、ビリーとスメラギさんの会話は一言もありませんでした。
 そして、この映画の最大の名セリフは、ビリーの「やさしくしてください」だと思います。
 劇場でもそこそこうけてました。



グラハム・エーカーとソルブレイヴズ
 ミスター・ブシドーはかなり残念な感じでしたが、グラハム・エーカーは好きな私です。
 ですが、映画においてはほぼ空気でした。
 刹那との会話もラストだけですし(しかも一方的に言って散るだけなので、会話は成立していない)。
 ソルブレイヴズも完全に空気のうちにやられてしまいました。
 映画しか出番がないため、オーバーフラッグスほどキャラクターが立っていないのも痛いですね。
 グラハムは最終的にELSの中枢に、刹那を入れるために特攻して(多分)亡くなります。
 今まで、戦ってきたライバルキャラがついに手を組んだ!っとテンションの上がるシーンのはずですが、なぜか今一つでした。
 グラハムは私の中ではやっぱり1期18話をこえることはできませんでした。



フェルト・グレイスとはなんだったのか?
 2期の終盤から急に刹那に対してヒロインヒロインしていましたが、劇場版ではさらに加速していました。
 TVでは全く脈がないわけではなさそうでしたが、劇場版では全く相手にされていませんでした。
 ELSがフェルトの花になるわけですから、もしかしたらわずかながら可能性はあったのかもしれません。
 しかし、それでも刹那が最後に行ったのはマリナのところでした。
 ちゃんちゃん。
 ……



アンドレイ・スミルノフ
 完全に忘れていました。
 ちゃんと出ていましたが、メインキャラクターとの絡みは無かったような気がします。
 たしか、ELSとの戦力比が1:1000だと言っていたのは彼だったと思います。
 実は私がちょっとよそ見をしていたら、死んでいて両親の走馬灯を見ていました。
 セル版がでたらちゃんと彼の最期を見ようと思います。
 ごめんなさい、子熊さん。



ダブルオークアンタ
 まさかラストにちょい出るだけだなんて誰が予想したでしょうか?
 多分15分くらいしか出ていないと思います。
 戦闘もロクに行いませんでした。
 νガンダムのフィン・ファンネルバリアのように、GNソードビットを六角形に展開してバリアにしていたのだけは印象に残りました。
 あの演出は格好いいですけど、アレンジしても新しさを出すのは難しそうです。
 グラハムのおかげで、クアンタはELSの中枢に入り、クアンタムフィールドなるものを展開して、「来るべき対話」がついに始まったみたいです。
 ここでELSの欄で書いたようなことがわかり、ELSはフェルトの花へと代わり刹那はELSとともに去り終了。
 観ているときはポカーンでしたが、家に帰ってパンフレットを読むと

そんな刹那の根源的な部分にエルスが触れた結果があの花なんです。戦場で花を踏みつけるようなところからスタートした少年が、“花”の大切さを示す、というのがポイントかなと。

と書かれているのを見て演出の納得はできました。
 観ていたときは、本当に「…………え?これで終わり?」って感じでしたが。
 パンフレットに「一輪の花は平和の象徴」として何度も書いてきたとありましたので、私がもう少し真剣に00を見ていれば、もう少し違った感想だったと思います。
 というか、ガンダムファンというよりも00のファンという人たちには、「一輪の花は平和の象徴」という認識がしっかりと根付いているのでしょうか?
 ちょっと気になりました。



ED
 EDが流れている間、ポカーンとなっていましたが、席を立つ人は一人だけしか見つかりませんでした。
 EDはクレジットを眺めていましたが、イオリア・シュヘンベルグのところで声優が大塚周夫さんでないのが気になり、次に「あれ?むしろ出番あったっけ?」っと考えていました。
 ED明けに早速謎は解けました。
 2090年代(正確な年を忘れました。あとで調べて直します)のシーンで、E・A・レイがイオリアの言葉を使わずに意思を伝える量子の発見をたたえる場面でした。
 結局ここから、戦争根絶という思想になるという流れやヴェーダ制作の流れが私にはわからなかったのですが、外伝などで語られているのでしょうか?それとも映像作品で語られているのがイオリアの計画の全てなのでしょうか。
 結構つながりが突拍子もないところが、あると思うのですが、私の読解力の問題ですか?



西暦2364年
 いまさらですが、無理に西暦と言う年号を使った意味が最後まで理解できませんでした。
 2364年になり人類の4割がイノベイターになった、劇場版から50年後の世界。
 試写会の感想で

人間以上に進化したものが、地球を救える、というラストは、何か現在の人間には救えるものはないのだ、と言っているようにも思えてしまう。
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 とあったのは、このシーンで、人口の4割がイノベイターになっているということが肯定的にとらえられている(少なくとも否定的にはとらえられていない)からなのだと思います。
 このままでは人類は駄目でイノベイターになるべきということを言っている、というように言っていると考えるのは別に穿った見方ではなく、素直な見方ですからね。
 ニュータイプ決定的に違うのは、「脳量子波」を使えるというはっきりとした能力の違いとして定義されている、ということ。
 ユニコーンで否定されていたように、ニュータイプはあくまで可能性を示すだけのものでした(サイコミュが使えるかという分かりやすいものもありますが、それは戦闘に限ったもので、ニュータイプの定義は結構難しかったりします)。
 が、イノベイターは、はっきりと脳量子波を使った言語を用いないコミュニケーション能力と、はきりわかっているということ。
 これは、イノベイターになれない人類とイノベイターとの間に軋轢が生まれると思います、そのあたり全く触れられていませんが、どうなのでしょうか?
 実際、(時期が早かったとはいえ)イノベイターになったデカルトは、そうでない人々を「劣等種」とはっきり侮蔑していましたし。
 ただこれ、忘れている人が多いと思いますが、どちらかというと「ガンダムseed」のテーマですよね。



老いたマリナとメタル刹那
 本当のラストシーンです。
 50年たって地球に帰ってきた刹那は何故かELSと融合して、メタル化していました。
 ……年月の残酷さというものを教えに来たのではないと思いたいですが、対するマリナは80越えで目も良く見えなくなっていました。
 金属生命体って確か、炭素生命体よりもはるかに長い寿命を持っているんでしたっけ?
 これで刹那は永久に近い時間を生きることになるのでしょうか?
 今一つピンとこないところがありますが、この刹那の姿がELSと分かり合った結果らしく、マリナに対して「あなたは正しかった」と声をかけ、場面が庭に移り、002期の後期EDラストのように花に包まれたクアンタが登場して終了となりました。
 TVシリーズでも登場していたことからこのラストはずっと前から決まっていたんだと思います。



 っとまぁ、ストーリーをなぞるだけになってしまっている気もしますが、感想はこんな感じ。
 観る前からわかっていましたが、TVシリーズを楽しめた人はきっと映画も楽しめると思います。
 映画で初見の人はわけがわからないと思います。
 解説らしい解説は「映画ソレスタルビーイング」の中にしかありません。
 富野ガンダムが好きな人はポカーンだと思います。
 疑問もある程度本文中に書いてしまったので、00について最後に書くことは特にありませんので、今後のガンダムシリーズについて少々書こうと思います。
 00のやった最も大きな功績は今後のガンダムシリーズを作りやすくしたことだと思います。
 MSのデザインの自由度はかなり上がりました。
 エクシアなどのガンダムは今は見慣れて、むしろ格好良く見えるのは00スタッフの力ですが、MSデザインは発表当時かなり批判的なものが出ました。
 実際これまでにないフレームで、私も大丈夫なのかと思いました。
 その後発表された、イナクト、フラッグ、ティエレンもこれまで考えたことのないようなMSで観る前は、本当に不安でした。
 しかし、今現在はどうでしょうか?
 確かに好みの問題でダサいとか、格好悪いと思うMSはいるとおもいます。
 ですが、このフレームは無いと考える人や、あり得ないといまさら話題にする人は、ほとんどいないのではないでしょうか?
 放送前にあれだけ批判されたデザインですが、視聴者に受け入れられたと考えられると思います。
 つまりもう、ガンダムでありえないデザインのMSはありえないということ。
 あっても全て「00もありえないデザインだったけど、終わるころには受け入れられてたじゃん」の一言で片づけられるということです。
 そして最大の衝撃「宇宙人」。
 ガンダムではタブー、というかそれ以前にガノタガンダムにいつか宇宙人が出るなんて思っていた人はいない、と思うくらいのものだったと思うのですが、00ではあっさり出してくれました。
 これで後の作品で宇宙人を出しても「00で出たじゃん、いまさら何言ってんの?」で片づけられるようになりました。
 と、このようにこれまでの常識をぶち壊す判例が2つ出たことが、作りやすくなったと考える理由です。
 さぁ、「自由度の高くなったガンダムサンライズさんは次にどんなガンダム何を作ろうとしているのでしょうか?」っというのが、私の00感想かもしれません。
 そんなに自由なら、本当にガンダムじゃなくていいじゃん」と思うんですけど。
 なんか「武力介入」とか「戦争根絶」とか言っていたのが懐かしく感じますね。










劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-