ガノタのチラシの裏

ガンダムについて思いついたことを気ままにかいています。

0096/Final Sect 「虹の彼方に」エピローグ 感想

 長かったユニコーンの感想もこれで最後です。
 ガンダムのラストらしく?含みと可能性が残されていますので、答えは読み手しだいとして私の感想をば。



 アンジェロ・ザウパー
 フロンタルの亡骸をアンジェロが回収します。
 フロンタルの求心力の疑問を前回書きましたが、「器」のフロンタルが唯一何かを他人に与えられたのが、アンジェロに対してだったのかもしれません。
 フロンタルに対してモナハンへの印象がかかれていないのが残念と書きましたが、アンジェロに対してどう思っていたのかも一切書かれていないんですよね。
 それで気付いたんですが、フロンタルの内面は本編中一切書かれていませんでした。
 彼は「器」でそれ以上でもそれ以下でもないのです。



 ラプラスの箱
 ミネバ・ラオ・ザビの手により、≪ラプラスの箱≫の内容が伝えられます。
 結局のところ、ローナンやミネバが言うように「宇宙に適応した人間」というのが「ニュータイプ」であるということは必ずしもないわけで、それもまた可能性の一つにすぎないわけですね。
 このあと、ジオン共和国がその名前を捨てて、永久に自治権を求めることを辞めるというのはすでにある事実ですから、これでいいのだと思います。
 それに碑文に書かれていることはあくまで「祈り」ですから。



 バナージ・リンクス
 ネェル・アーガマの面々がバナージを呼ぶ声が涙をさそいます。
 ユニコーンガンダムと一体化したバナージはミネバの元へと向かいユニコーンガンダムの物語は終焉を迎えます。



 バナージはフロンタルが言うように「みんな」のところへは戻れなかったと考えることもできますし、リディが希望を持って考えたようにずっとこのままであるという保証はありません。
 ニュータイプの一つの終着点として、MSやさまざまな意思との一体化が示されたと考えるべきでしょう。
 あくまでこれは福井晴敏さんの物語ですが、冨野監督も伝説巨神イデオンで同じことをやっていますし、近年では新世紀エヴァンゲリオンでも人類補完計画として多数の意思の集合体が意思疎通の究極系として表わされています。
 完全な意思疎通の形はこれ以外に示されないのか?と考えると残念ではあるのですが。
 宇宙世紀100年代の物語の中では、ニュータイプの役割というのは小さくなっていきますので、逆襲のシャアで終わったニュータイプの物語に外伝としてあたらしい可能性が示されたというのが、私のユニコーンに対する印象です。
 私にとってガンダムは一つの作品でこれが面白い!というのではなく*1年代記的な流れを面白く感じている面が強いので、単純に一つとりあげたら、後付けというだけあってユニコーンガンダムは一つの作品で見たらかなり面白かった部類だと思います。


 個人的今回の名台詞
 リディ・マーセナス「……冗談じゃない。認めない。こんなのが人の進化の終着点だなんて、おれは認めないぞ」

 完結からはかなりの時間がたっていますが、面白い物語を提供して下さった福井晴敏様に感謝の意を表明します。

*1:それでも、一つ好きな作品を選べと言われたら、TV版Ζガンダムをあげます。